FC2ブログ

F講師からの手紙(映画のきっかけ)

さんじのぱぱは、映画の楽しみを仏語授業で覚えました。
大学2年の仏語の二人の講師のうち、一人が若いF講師でした。
F講師は仏語は教えず、しばしば次のように語りました。
 君たちのように若い感性で、夢を持ち未来へのさまざまな可能性がある時期に良い映画をたくさん観なさい。
 ちょうど今、六本木のシネ・ヴィヴァンで上映中の「ミツバチのささやき」を観て、レポートを提出のこと。
 初めっからこの調子で、仏語のテキストはあったかもしれませんが、使ったことを覚えていません。授業中は、映画を観て話し合ったことばかり。その当時のさんじのぱぱは純粋な気持ちが残っていて、「ミツバチのささやき」に感動し、シネ・ヴィヴァンで2回も観てしまいました。同じ映画を映画館で2回観たのはこれが初めてです。
早めに六本木に行き、シネ・ヴィヴァンのある黒いビル「WAVE」で洋楽CDを探すのが楽しみでした。
飽きると、近くの青山ブックセンターに行き、入って左側の中2階にある映画・写真・音楽・絵画などの本のコーナーを見るのも楽しみでした。--->話がそれるので、この辺はまた別の機会に。

 当時(26年ほど前)は、パソコンも携帯もインターネットも無かったので、映画上映スケジュールは、新聞か「ぴあ」「CITY ROAD」でした。もちろんさんじのぱぱは「CITY ROAD」です。誤記が多少ありましたが、1ヶ月分なので経済的。それに上映中の映画に対する評論をしている人々やその辛口コメントや偏見具合がマニアック。
 またシネ・ヴィヴァンなど単館上映が盛んになってきた頃だったかと思います。そのうちミニシアターという言葉も出てきて。でもまだ名画座があって3本立てなんか体力が無いとみられません。銀座の並木通りに並木座がまだあって、周期的に上映される小津安二郎の映画も、観ていないものがかかれば、観に行きました。座席が小さめでちょっと窮屈で肘掛けが木製だったかな。大井町・東京駅・池袋・高田馬場・新宿・渋谷・大塚・飯田橋・目黒・三軒茶屋・白山あたりにも行きました。

 ある日、仏語の授業で、「海辺のポーリーヌ」を観てレポートをF講師の自宅に郵送のこと。という課題が出ました。早速、有楽町のみゆき座に観に行きました。エッチっぽいエリック・ロメール監督はこの映画で知り、その後「緑の光線」を観たのですが、その映画館が思い出せません。確かエリック・ロメール監督特集を組んでいたのですが。

 さんじのぱぱがF講師宛にレポートを郵送して、F講師の授業でも「海辺のポーリーヌ」を観た印象を学生とF講師で話し合ってから1月以上経ったか、なんとF講師から分厚い手紙が届きました。ブルーブラックのインクで万年筆で便箋にびっしりと書かれています。この強烈な印象は一生の思い出です。手紙の最後にF講師が感激した映画がリストアップされていたので、当時のさんじのぱぱは映画館でかかれば観に行きました。
 さんじのぱぱ宛の私的な手紙をブログに載せるのは、F講師の同意が無ければだめですが、今となってはそれも難しく、しかるに、名前はすべて伏せてブログに書き起こします。手紙文中の私の名前の部分は【さんじのぱぱ】に置き換えています。また、手紙文中で強調するために・・を付したりやルビが付いてる箇所は、”さんじのぱぱ補足”として書いています。


■F講師からの手紙(およそ26年前)---始まり
前略
封筒に入ったレポートが自宅に次々と到着するという事態は、僕にとっても初めての経験で、その中身が生徒諸君からのレポートであっても、教室で集める物に比べてそれはやはりごく私的な内容の手紙であるといった印象を受けてしまうのですが、それはともかくとして、【さんじのぱぱ】君への返信という形式のもとで、映画について思う「二、三の事柄」を脈略なく書いてみたい。
 まず『ポーリーヌ』のあじさいに深く印象づけられたのは、評論家梅本洋一の紹介文(フィルムアート社『映画は判ってくれない』所収)-ちなみに梅本氏は僕の20倍もの映画を見ている(年間約500本)-を読んでから試写を見た(今年の3月)ためだと思う。予めそうした情報がなかったら、たしかにあのあじさいから、あれほど鮮やかな印象を受けたかどうかはわからない。ただし、もっぱら梅本氏の紹介文のフィルターごしに僕があのあじさいを見てキレイだ、と思いこんでしまった、というのでもなかろう。そういった類の情報に裏切られることの方が圧倒的に多い、といっても明確な理由にはなるまいが、ともかく、あのあじさいは、曇天のもとに(【さんじのぱぱ】君の記憶とはやや異なり)しっとりと美しく→息づいていたというのが、僕の率直な印象です。
 国史(さんじのぱぱ補足:日本史専攻の意)のYさん(【さんじのぱぱ】君と同じ仏語クラスのギャル)に教えられたのだが、あじさいの花言葉は「心変わり」だそうで、そうするとロメールもそのことを意識してフィルムの冒頭と末尾近く(?)にあじさいの映像を配したのかもしれないが、とならば、あの花は登場人物たちの「心変わり」を表す記号ないしは象徴といったことになりもしよう。しかし、そうした見方は、ロメールの意図がどうあれ、あの作品の具体性をとり逃がしてしまうものに思われます。(とエラそうにいっても、『ポーリーヌ』のような、すべてが納得しうる形で示されているフィルムは-”難解”なところがないぶんだけ-論ずるのがきわめて困難であるゆえ、ここでは一般論へと逃げてしまおう。)つまり、ここで言いたいのは次のようなことです。
 一つの映像は、何よりもまず、その映像自身をスクリーン上に示しているのであり、その映像が何か他のものを示し(意味し象徴し暗示し主張し)うる場合でも、まずそれ自体として充実し充足した(現実感(さんじのぱぱ補足:現実感にルビで「リアリティ」)のみなぎる)映像として造型されていなければ、秀れた(面白い、緊迫した、官能的な、印象深い、美しい、映画史に残ろうと残るまいと人の映画的感性を揺さぶる)映画のファクターとはなりにくいと思われるのです。
 もちろん一つの映像はそれ自身を示すだけでなく、それ以外のものを共示(さんじのぱぱ補足:ルビで「コノテ」)(connoter-辞書等で調べてくださると幸いです)し -たとえば少女アナ(さんじのぱぱ補足:「ミツバチのささやき」の主人公の女の子、アナ・トレント)の大きく見開かれた目が未知のものへの驚きと不安を表わすと行ったように- たり、あるいは物語(そもそも映画においては、画面の連鎖、継起によって、ある時間的持続のなかで構成されるのが物語((≒ストーリー、筋))といえる)を動かす契機の一つとなったり -アナが村の集会所で見る「フランケンシュタイン」映画のように- します。しかし、そうした場合でも、たとえばあじさいの花がどのような角度から、、どのように光を当てられて画面に映しだされ(造型され)ているか、あるいは俳優の表情や身振りがいかなる演出のもとに映像化されているか、あるいはそれらが、どのような音響(楽)を伴って出現するか等々の、いわば筋やシナリオや主題以前の視覚的、聴覚的な表現上の問題こそが、何よりもまず(さんじのぱぱ補足:「何よりもまず」に強調のルビ点)、その映画の生き死に(さんじのぱぱ補足:「生き死に」に強調のルビ点)を決定づけるのではなかろうか、と思うのです。
 だから、物語やテーマとしては平凡なメロドラマといえなくもない『荒野の決闘』『東京物語』に人が感動するのは、第一にフォードそして小津の(そしてアーサー・ミラー、厚田雄春のカメラ)の映像表現における見事な手腕のためではないでしょうか。
 そうした意味で、【さんじのぱぱ】君のレポートにあっては、あじさいの役割うんぬんという箇所よりも、ポーリーヌの水着(およびその中身)へとそそがれた相当にイヤラシイ(僕に劣らず)視線をめぐる分析(?)のほうが、よりいっそう重要で、あの映画のエッセンスの一端に触れていると思う。名前は忘れたが、たしか「イメージ・フォーラム」の先月号(?)で、ロメールは『ポーリーヌ』で、恋愛心理を描くという口実のもとに、アマンダ・ラングレの肉体をすみずみまで舐めつくすように撮りたい、というひたすらエロティックな欲望を満たしたかったのだ、と書いていた批評家がいたが、そういわれてみれば確かにそうだという気がしてきて、いや、絶対にそうだ!と思ってしまったりもする人がいても不思議ではないとか肯くのです。ま、それがあの作品の全てではないでしょうが、いずれにせよ、映画における思想とかテーマとか意味とかは、かなりうさんくさいものである場合が多いと思う。
 今までに僕が書いてきたようなことは、全く同じではないにせよ、蓮見重彦(『監督 小津安二郎』筑摩、他著作多数、野球評論家でもあり、東大助教授でもある)とか四方田(さんじのぱぱ補足:よもたのルビ)犬彦(『人それを映画と呼ぶ』フィルム・アート社-かつてこれは殆ど僕のタネ本であった)、あるいは梅本洋一といった人たちの主張とほぼ同じ流れに位置づけられる言説です。(細かいところでは、彼らと僕の映画についての考え方、見方にはさまざまなズレがあるにせよ)

 ということで、全く尻切れとんぼのまま、僕の「レポート」は終ります。ともかく、映画について言葉を発するのは、かなり困難なことであり、新しい映画に出会うたびに視点が変わっていくことがしょっちゅうですが、そのプロセスを一つの運動をみなせば、一つの視点のみにこだわる必要はないと思われ、あまり深く考えずに、どんどんいい加減に、不良っぽくヤレばいいわけです。僕自身も、今年の4月からでさえ、少しずつ映画に対する感性が変化しつつあるように感じられます。肝心なのは映画館に通いつづけること、それだけです。映画的思考とは、映画を見続けるごとに(そのことによってのみ)更新されてゆく何かだという気がしています。

同封の「三色旗」所収の文章(コピー)は、あまりエラそうで、しかも舌足らずで低調ですが、読んでください。それと、岩波から出ている作曲家の武満徹の映画エッセー『夢の引用』は比較的平明で面白いから一読をすすめます。  では又。

 P.S. 最近見た映画の番付(100点法)を同封します。
      そして「恋愛」にかんしては、吉行淳之介『恋愛論』(角川文庫?)
      がけっこう面白いですよ。 又、9/7から公開のヴィム・ヴェンダース(さんじのぱぱ補足:”ヴィム・ヴェンダース”に下線し矢印で”小津の信望者”)『パリ・テキサス』も必見の映画です。

(約200本の中から選択)
『わが谷は緑なりき』(再)120点(J.フォード)→8/13(土)から国立スカラ座で上映.必見!!
----
『EMOTION-伝説の午後-いつか見たドラキュラ』(再)(大林宣彦)100点
『気狂いピエロ』(再)100点
『旅芸人の記録』100点(テオ・アンゲロプロス)
『ロング・グッドバイ』(ロバート・アルトマン)100点(ハードボイルド)
『HOUSEハウス』(大林)100点
『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング、1939)100点 8月上映 必見!
----
『荒野の決闘』(再)95点 『黄色いリボン』『幌馬車』(共にJ.フォード.95点)
『サスペリア』(ダリオ・アルジェント)95点
『ミツバチのささやき』95点
『ガキ帝国』(井筒和幸)95点
『シェルブールの雨傘』(ジャック・ドゥミー)95点
『戦場のメリークリスマス』(再)95点
『晩春』(再)95点
『ションベンライダー』(再)(相米慎二)95点 『ラブホテル』『台風クラブ』必見!
『風の谷のナウシカ』95点
『大人は判ってくれない』(再)(フランソワ・トリフォー)95点高田馬場ACT自主上映アリ!必見!
『あこがれ』(〃 〃)95点
----
以下80点~90点(つまり、かなり感動的で必見のもの、順不同)
『最前線物語』(サミュエル・フラー)
『怒りの葡萄』(J.フォード)
『裏窓』
『転校生』
『サン・ロレンツォの夜』、『父 パードレ・バドローネ』(タヴィアーニ)
『東京物語』、『小早川家の一』(さんじのぱぱ補足:『小早川家の秋』)、『秋刀魚の味』、『麦秋』
『駅馬車』
『マルクスの二挺拳銃』
『火まつり』
『リスボン特急』(ジャン・ピエール・メルヴィル)
『シャイニング』
『ウィーク・エンド』(ゴダール)
『お早よう』
『アイコ16歳』カメラがいい!
----
以下70点~80点(少なからず感動的)
『長屋紳士録』、『浮草』
『スプラッシュ』
『イレイザーヘッド』
『ジェラシー』
『ノスタルジア』
『マッドマックス1』
『海辺のポーリーヌ』
『Wの悲劇』
『召使』(ジョセフ・ロージー、英)
『フェノミナ』
『さびしんぼう』
『ダーティハリー4』
その他無数
----
×ワースト・・・『カリブ愛-』『狼の血族』『ターミネーター』『刑事ジョン・ブック』
        『私生活のない女』『ルー・サロメ』『乱』(ツマらん)(さんじのぱぱ補足:”らん”に

強調の点)

<住所>
<F講師名>
■F講師からの手紙---終わり
スポンサーサイト



テーマ : この映画がすごい!!
ジャンル : 映画

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール
・思うこと、こころ動かされたこと。
・そもそも、あたりまえのこと
 を考えながら書いてゆきます。

さんじのぱぱ

Author:さんじのぱぱ

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示