日中国交正常化
(2011年10月19日、最後に追記しました)
毎日新聞に、今年の第23回アジア・太平洋賞(アジア・太平洋地域に関する優れた本を著した研究者らに贈られる)の特別賞2点のうちの1点として記事になっていたのを見て、中国の賠償請求放棄など興味があったので読みました。
日中国交正常化
服部龍二 著 中公新書2110番

大変充実していて、ぐいぐい引き込まれ、読み応えがありました。
新書800円では出版元は悔しい思いかもしれません。
今年の新書大賞に入って欲しい気がします。
(2010年の新書大賞は「宇宙は何でできているのか」でした。さんじのぱぱは、”積ん読”状態です。)
著者は、あとがきで、
「新書という媒体を選んだのも、多くの読者と日中関係を考えたかったから」と書いています。
副題にあるように、田中首相・大平蔵相・外務官僚が互いを補い合うように達成します。
日中交渉は自民党総裁選に勝つ目的だったためか首相になってからはあまり乗り気でない田中首相が、いざ実行を決断すると責任を持つからとリーダーとして引っ張る姿が描かれています。
ドキュメンタリー映画を見ているように、外交交渉の現場が迫ってきます。
何らかの映像化がなされると、迫力ある感動的な作品になりそうです。
できれば田中首相より、大平蔵相か外務官僚に焦点を当てた映像化の方が、心にぐいっと来ると思います。
さんじのぱぱは、1972年当時、偉い人たちが乾杯する様子をテレビで見た記憶があります。
交渉初日9月25日の夜に歓迎夕食会が開かれ、衛星テレビ中継されたそうですから、これをリアルタイムでまたはニュースで見ていたのでしょう。
■印象深かったこと・・・読書メモ
1)註記が360箇所あり、根拠にした文献を示し、思いに流されないよう検証可能な記述にしたのでしょうか。歴史を書くとはこういうことかなと思いました。
2)台湾との日華平和条約を敗戦国である日本から一方的に破棄する決断と、その後の民間交流はすすめられるよう最善・誠意を尽くした外交。
3)本書は序章・1~9章・終章から成るが、9章の日中共同声明調印式の様子と、調印された共同声明の前文・9項目を読むと、条文の一語一語が、それまでのハードな交渉で組み上げられ合意に至った成果として胸に迫り、無味乾燥に見える共同声明文が、9章まで読んで理解してきたためか生き生きと伝わり、その語句で無ければ合意しえなかった両国の立場が意識されます。
4)中国の賠償請求放棄
周恩来首相は、
やりきれない国民への説得としては、同じ労働者・人民から賠償を取り上げると言うことは社会主義中国としてやるべきではないとし、
放棄の理由として
①中国の社会主義建設は自主更正で外国の資金は不要。
②蒋介石の台湾が放棄している。
③賠償金は日本国民の負担になり、日中友好が永遠に達成できない。
をあげている。
また、1965年5月31日に宇都宮徳馬議員が訪中したとき、中国外事工作部長の趙が、
「戦争賠償はその戦争に責任の無い世代にも支払わせることになるので不合理である」と
賠償請求の放棄を示唆していたとのこと。
2011年7月22日のさんじのぱぱ日記では、「街場の中国論」を読み、周恩来の「王道政治」が賠償請求放棄するに至った背景にある考え方なのかなと思いました。
5)絶好の時期
力のある第一世代の毛沢東や周恩来が健在で、田中が権力・人気とも頂点にあった1972年9月は、日中国交正常化が可能な唯一絶好のタイミングだとのこと。(もちろんソ連との対立で中国がアメリカ・日本との関係回復を急いだことが大きいのでしょうが)
6)首相・蔵相の外務官僚の使い方・連携
上の人が下を信頼し、下がまた上を信頼して仕事をし、一つの目的のための仕事が実を結んだ。
戦後の外交では日中国交正常化が非常にいい例。
7)合意できる共同宣言の語句へ仕上げる交渉( 3)と重複しますが)
中国の復興三原則にあるように、中国が唯一の合法政府、台湾領土は中国と不可分、日本-台湾間の日華平和条約の不法という台湾のとらえ方と、当時の日本と台湾との関係にギャップがあった。
が、双方がギリギリ合意できるよう、日本も腹案を用意して交渉で詰め、その後問題が表面化するかもしれない小異を残して大同に就き、合意できる考え方・語句に仕上げてゆく外交交渉の現場を目の当たりにしたようで、興味深い。
8)毛沢東
日中のハードな三日間の交渉の後、1972年9月27日の夜に、毛沢東が田中首相に今晩会いたいと話で、これは、交渉妥結を暗示した、中国最高指導者からの誘いだとのこと。
夜8時半に毛沢東の書斎で田中首相・大平外相・二階堂官房長官が会見した。
さんじのぱぱは、毛沢東の開口一番の語り口が凄いと思いました。
「もう周総理とのケンカはすみましたか。ケンカしてこそ初めて仲よくなるものですよ」
二階堂官房長官は、後日、この会見の意味を、交渉中の感情的なしこりを無くして交渉を終わらせる”手打ち式”だったのではと振り返ったとのこと。
毎日新聞に、今年の第23回アジア・太平洋賞(アジア・太平洋地域に関する優れた本を著した研究者らに贈られる)の特別賞2点のうちの1点として記事になっていたのを見て、中国の賠償請求放棄など興味があったので読みました。
日中国交正常化
服部龍二 著 中公新書2110番

大変充実していて、ぐいぐい引き込まれ、読み応えがありました。
新書800円では出版元は悔しい思いかもしれません。
今年の新書大賞に入って欲しい気がします。
(2010年の新書大賞は「宇宙は何でできているのか」でした。さんじのぱぱは、”積ん読”状態です。)
著者は、あとがきで、
「新書という媒体を選んだのも、多くの読者と日中関係を考えたかったから」と書いています。
副題にあるように、田中首相・大平蔵相・外務官僚が互いを補い合うように達成します。
日中交渉は自民党総裁選に勝つ目的だったためか首相になってからはあまり乗り気でない田中首相が、いざ実行を決断すると責任を持つからとリーダーとして引っ張る姿が描かれています。
ドキュメンタリー映画を見ているように、外交交渉の現場が迫ってきます。
何らかの映像化がなされると、迫力ある感動的な作品になりそうです。
できれば田中首相より、大平蔵相か外務官僚に焦点を当てた映像化の方が、心にぐいっと来ると思います。
さんじのぱぱは、1972年当時、偉い人たちが乾杯する様子をテレビで見た記憶があります。
交渉初日9月25日の夜に歓迎夕食会が開かれ、衛星テレビ中継されたそうですから、これをリアルタイムでまたはニュースで見ていたのでしょう。
■印象深かったこと・・・読書メモ
1)註記が360箇所あり、根拠にした文献を示し、思いに流されないよう検証可能な記述にしたのでしょうか。歴史を書くとはこういうことかなと思いました。
2)台湾との日華平和条約を敗戦国である日本から一方的に破棄する決断と、その後の民間交流はすすめられるよう最善・誠意を尽くした外交。
3)本書は序章・1~9章・終章から成るが、9章の日中共同声明調印式の様子と、調印された共同声明の前文・9項目を読むと、条文の一語一語が、それまでのハードな交渉で組み上げられ合意に至った成果として胸に迫り、無味乾燥に見える共同声明文が、9章まで読んで理解してきたためか生き生きと伝わり、その語句で無ければ合意しえなかった両国の立場が意識されます。
4)中国の賠償請求放棄
周恩来首相は、
やりきれない国民への説得としては、同じ労働者・人民から賠償を取り上げると言うことは社会主義中国としてやるべきではないとし、
放棄の理由として
①中国の社会主義建設は自主更正で外国の資金は不要。
②蒋介石の台湾が放棄している。
③賠償金は日本国民の負担になり、日中友好が永遠に達成できない。
をあげている。
また、1965年5月31日に宇都宮徳馬議員が訪中したとき、中国外事工作部長の趙が、
「戦争賠償はその戦争に責任の無い世代にも支払わせることになるので不合理である」と
賠償請求の放棄を示唆していたとのこと。
2011年7月22日のさんじのぱぱ日記では、「街場の中国論」を読み、周恩来の「王道政治」が賠償請求放棄するに至った背景にある考え方なのかなと思いました。
5)絶好の時期
力のある第一世代の毛沢東や周恩来が健在で、田中が権力・人気とも頂点にあった1972年9月は、日中国交正常化が可能な唯一絶好のタイミングだとのこと。(もちろんソ連との対立で中国がアメリカ・日本との関係回復を急いだことが大きいのでしょうが)
6)首相・蔵相の外務官僚の使い方・連携
上の人が下を信頼し、下がまた上を信頼して仕事をし、一つの目的のための仕事が実を結んだ。
戦後の外交では日中国交正常化が非常にいい例。
7)合意できる共同宣言の語句へ仕上げる交渉( 3)と重複しますが)
中国の復興三原則にあるように、中国が唯一の合法政府、台湾領土は中国と不可分、日本-台湾間の日華平和条約の不法という台湾のとらえ方と、当時の日本と台湾との関係にギャップがあった。
が、双方がギリギリ合意できるよう、日本も腹案を用意して交渉で詰め、その後問題が表面化するかもしれない小異を残して大同に就き、合意できる考え方・語句に仕上げてゆく外交交渉の現場を目の当たりにしたようで、興味深い。
8)毛沢東
日中のハードな三日間の交渉の後、1972年9月27日の夜に、毛沢東が田中首相に今晩会いたいと話で、これは、交渉妥結を暗示した、中国最高指導者からの誘いだとのこと。
夜8時半に毛沢東の書斎で田中首相・大平外相・二階堂官房長官が会見した。
さんじのぱぱは、毛沢東の開口一番の語り口が凄いと思いました。
「もう周総理とのケンカはすみましたか。ケンカしてこそ初めて仲よくなるものですよ」
二階堂官房長官は、後日、この会見の意味を、交渉中の感情的なしこりを無くして交渉を終わらせる”手打ち式”だったのではと振り返ったとのこと。
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