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瑛九の「家・窓・人」

恵比寿の東京都写真美術館へ行き
自然の鉛筆 技法と表現」を見た。

2012年9月17日(月・祝日)まで。
是非、行って、実物の写真を見て、何かを感じて
お気に入りを発見できたら、とおすすめです。

特に、展示の4.5割は見渡せそうな、
四方の仕切りから離れた展示スペースの中央付近に立って
ぐるっと見渡すと、技法なんかよりも、
これだけいろいろな写真家・作家の150年以上の時間の差がある写真を
ざっと見られることに、凄いことだ、と感じた。

じっくりゆっくり見るならば、冷え性の人は寒いかもしれないので、
上着など羽織るものを持って行った方が良いでしょう。
さんじのぱぱはジャケットを持ってゆくのも暑いからと家に置いていって
半袖ポロシャツ一枚では少し寒くなったので後悔しました。



収蔵品から、毎年テーマを設け、
「選りすぐられた名作をご紹介」しているそうだ。

今回は、この企画を全く知らないでぶらっと行ってみたことも影響したのか
2種類、感動しました。
 1)初めて見て気に入った写真があったこと
 2)訴えてくる力を感じたこと

1)初めて見て気に入った写真があったこと
 マン・レイ作品の間に1点展示されていた瑛九(Ei-Q)の「家・窓・人」に釘付けになった。
 好きなときに手元に置いて見たくなり、複製があれば欲しいと感じさせた。

 今回の展示のテーマは、写真として見せる紙などの媒体への表現技法とのことで、
 鶏卵だのゼラチンだののタンパク質(有機物)と、硝酸銀などを混ぜて、
 光に反応して色が変わる化学や光学という技術の進歩と
  (詳しくないので誤解しているかもしれない)
 その表現技法の違いを、
 その技術を使った写真を見て「なるほど」と見て比較できること楽しい。

 しかし、写真なのだから(技術はちょっと置いといて、先入観無しの心構えで)
 芸術として心を揺さぶられたい...と、見ている途中で思い直して、
 (ここのあたりは、おとつい読み終わった岡本太郎の「今日の芸術」に影響されている)
 素になって、写真の横や下にある作者やタイトルや年代や技術的説明は読まないようにして、
 まず、展示してある写真に向き合った。

 それで惹きつけられたのが瑛九の「家・窓・人」なのです。
 家に帰ってからネットで検索してみたくらいだから、知らない作家(といっていいのか)なのです。

 何処に惹かれるのだろうと、近づいたり遠くから見て他の写真家たちの作品と比べたり
 展示スペース内を5,6回往復して戻ってきては、また見て、を繰り返しました。

 リアルの家や窓や人を写しているのではなく、
 カメラを使わず、(たぶん)光源と印画紙の間に、
 網や輪っかなどの物をにいろいろ置いて(多重にしているのかもしれない)
 家や窓や人の形のように見える、ちょっと抽象的なイメージを表しているところが特徴だからでしょうか。

 心の中のイメージを絵にする抽象画のようだが、
 実際の物が印画紙に映し出された陰影なので、
 その表現技法の(さんじのぱぱにとっては)新しさと、
 陰影から感じられるリズム・奥行きと
 受ける印象としては、「ご近所にいろいろな人がいる楽しい様子」が
 さんじのぱぱの心を火惹きつけたのでした。
 「楽しい様子」のように見えたのです。(全くの誤解でもいいです)
 
 また、展示されいている多くの写真家のさまざまな年代の写真に囲まれながら、
 写真に写っている出来事・事柄に感じる場合と、
 その写真を作った写真家・芸術家の個性・訴えに感じる場合、
 その両方の力があることに(たぶんあたりまえのことなのでしょうが今更ながら)気づきました。
 瑛九の「家・窓・人」は、個性・訴えの方の割合がとても大きいのです。
 陰影を作っている物は影絵で使う人の形のような型紙のようなものや、網のようなもので
 それ自体・その部分を見ても何も感動しません。
 それらを組み合わせて印画紙に映し出した瑛九の写真に感じたのです。


2)訴えてくる力を感じたこと
 写真を紹介する本に写っている印刷された作品とその説明文章を、
 二十代の頃に1,2度読んだときには、「そういう見方もあるのか。ふむ、ふむ。」と
 分かったふうな感じでした。
 今回、カラー写真の展示の直前の展示スペースにある白黒写真に、
 さんじのぱぱは、特に感じました。
 ・ひまわりに見立てた気持ちの良くない写真。
 ・これはチャーチルかな?存在感があるな。
  チャーチル本人にも迫力があるのだろうが、その写真の表現が見る人に感じさせているのだろうとも思う。
 ・これは新聞記者のようだし、いやいや、作家...でなくその当時は文士か、誰だっけ。
  見たことあるようなスナップ。
  説明を見ると、太宰治だったか。
 というように、
 ここら辺のスペースはよく知られた写真だと思いますが、
 過去に見聞きしたことを脇に置いて、素になって、いきなり写真を見ると、
 聞いたことのある写真家や知っている写真でも
 (林忠彦、木村伊兵衛、植田正治、東松照明、荒木経惟の写真が1枚ずつ並んでいる)
 なんだか分からないけれど何かがこちらに伝わってくるちからのようなものを感じた。
 東松照明という名前は覚えていたが実物の写真は初めて見た。
 11時02分の時計が置かれている布を含めて、離れて見た写真全体が原爆をイメージさせた。
 
 でも、こんな風に受けた印象を文章に書き出した瞬間に、
 その文章がこの写真を見るときの先入観になってしまう。
 書かない方が良かったのかもしれない。

 W.H.F.タルボットの開いた扉は、何かの解説本で見たことがあったが、
 残念ながら、さんじのぱぱには、今日、何かを感じることはあまりなかった。
 本の印刷でなく1989年にプリントした写真を実際に見たためか、
 半分開いた扉の向こう側に、その家の奥にある窓から差し込む光が写っているようだった。
 ネットで検索すると、開いた扉や立て掛けた箒などの構図を言及しているものがあったが、
 もしかしたら、扉の中の家の暗い中の奥のほうの窓の光まで写せた技術がその写真の凄いところなのかと、少し感じた。
 展示されているタルボットの他の写真を見てみると、
 写真にするのが楽しくて、カメラや写真の使いようをいろいろ試しているように感じられた。
 レース編みの写真なんかは、
 ありのままの記録として、細部まで写して残せて
 (写真も大変だけれども描くのも大変だし)
 他の人に見せたりもう一度編むときに参考になるかもしれないし
 おまけにきれいだし、というように感じた。

 いろいろ感じたので、長くなりました。
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テーマ : 写真
ジャンル : 趣味・実用

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・そもそも、あたりまえのこと
 を考えながら書いてゆきます。

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