スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

グルー 真の日本の友

「グルー 真の日本の友」ミネルヴァ書房
 廣部泉(ひろべ・いずみ)著
1209100043.jpg


副題の由来は、吉田茂が自身の回想録でグルーを「真の日本の友」というべきと記しているところからだそうです。

さんじのぱぱは、大学入試で(いやいやだが)日本史を選択したにもかかわらず、グルーの名前を知りませんでした。
それだけに、この本で当時のグルーの存在の大きさを知ることができて、読んで良かったと思います。

アメリカ国務次官や駐日大使として、日本の理解に努め、
事が上手く進まず困難な局面に至っても、武力衝突を回避しようとし、
日米開戦後も、早期終戦を目指して動き、
終戦後は、日本に再軍備させないことが大事で、
それができれば、一時期の占領は必要だが
戦後の体制は日本自ら作り出すのが復興に有効だと考え
(天皇制維持は言わないが、天皇の戦争責任を問うことは日本の復興や
 その後の対ソ戦略上、とるべき手段では無いと考えていることが本書から分かる)
ただひたすらに穏健路線での外交努力をへこたれずに続けている。

当時のアメリカで日本をよく知る外交官から見た、
戦前・中・後の日本の動きと、アメリカ側からの日本のとらえ方が分かり、
また、当時の外交官の仕事ぶりがわかり、とても興味深かった。

大学生が読めば、当時と今とでは違うだろうが、外交官を志そうと思うかもしれない。

■外交交渉の妨げ
(主にグルーの日記からの視点だと思うが)本書を読んで、日米開戦を避ける外交交渉のなかで、
妨げとなったとの印象を抱かせられたのは次の2つ。
・ホーンベックの強硬路線
  駐日大使グルーの
  日本はアメリカが考えるような論理的な動きをしない一面があるといる報告を無視し、
  極東に詳しいと自負しながら実のところ少し昔の中国に詳しいだけなのにもかかわらず
  日本は負ける戦争を始めるはずが無いとの独断を上層部に進言。(戦後は失脚)
  また、部下の反発を買う無神経・高慢な性格
・野村駐米大使の独断
  日本本国からアメリカに向けて伝えるべき情報を伝えなかったり
  本人がよかれと思って本国の指示とは無関係に勝手に動いてしまうところから
  交渉の大事な局面でアメリカ側が混乱し、無用な時間を使ってしまっている。

■「ハルノート」の謎
 アメリカは即時開戦を望まないため、
東条内閣での甲・乙の対米案が1941年11月7日に
野村大使からハル国務長官に提示されたとき以来、
アメリカは日本との「暫定協定案」の作成に取りかかっていた。
 日本との和解を目指し、日本にとっても受け入れやすいだろう案で、
米国上層部で明らかに反対を表明しているのがホーンベックくらいであるにもかかわらず、
本書で「正確な理由は不明であるが」との断り書きで、
ハル国務長官は1941年11月26日に、
野村・来栖両大使に手渡したのが、「暫定協定案」でなく
厳しい内容のいわゆる「ハルノート」(満州事変以前の状態への復旧)であること。
また、この「ハルノート」の冒頭には「試案にして拘束力なし」と
断り書きがあるにもかかわらず、日本側はこれを最後通牒とみなして大騒ぎになったこと。

他にも
・原子爆弾投下に至るグルー周辺の動き
・東京裁判で戦争犯罪人として起訴された3名
 (平沼騏一郎・広田弘毅・重光葵)の弁護側の証拠として
 3名が戦争反対であったと述べる宣誓供述書を作成したこと
・戦後、公職を辞してからは、反共運動に最後まで関わっていたこと
が興味深い。

また、著者は、「おわりに」で、グルーへの辛口評価も書いている。
・単一の外交問題に対しては、あらゆる人的コネクションを使って問題解決するが、
・複雑な要因や関係者が絡み合っていたワシントンとの関係の仕事では、凡庸な動きであった。

「おわりに」から、長くなるが読書メモとしてP326以降から引用。

日本においても同様に、様々な人々と個人的な信頼関係を構築することで日米関係改善に努めた。
戦後の対日関係におけるグルーの意義を考えると、吉田茂や岸信介といった人々を戦後に繋いだということが先ず挙げられる。
アメリカの影響力が絶大であった戦後初期において活躍するには、アメリカの承認や支援が不可欠であったが、(日本人の)誰を承認するかを決めるアメリカ人たちは、往々にして戦前期においてグルーと良好な関係にあった人々を信頼できる日本人として支援していったのである。
対日占領政策を立案する重要な時期にグルーが国務省極東局長、そして次官として勤務していたということは、日本に対して懲罰的でない、より寛大な形での講和がなされる上で重要な役割を果たしている。
日本の内情に詳しく、日本の皇室に好感を持った人物が国務次官でいたため、寛大な形での対日講和がスムーズに進んだといえる。
ステティニアス国務長官の信頼が厚く、(国際連合創設等で)長官不在が多かったために、グルーの影響力は国務長官のそれに匹敵した。また、グルーが反共主義者であったため、外交政策が早い段階でソ連警戒型になったことも日本にとっては幸運であったといえる。
もし、次官の席に他の人物が座っていたとしたら、対日講和は全く異なったものになっていた可能性は十分ある。
ましてやホーンベックが留任し、彼を頼りにするハル国務長官が健在であれば、対日占領政策は日本に対してより苛烈なものになっていたことは疑いようがない。
スポンサーサイト

テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール
・思うこと、こころ動かされたこと。
・そもそも、あたりまえのこと
 を考えながら書いてゆきます。

さんじのぱぱ

Author:さんじのぱぱ

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。